こんにちは。
バレエ・アカデミー瑞浪 & 恵那の教師、マリ康子です。
先日、映画「ホワイト クロウ」の試写会に行ってきました。
今日はその感想をお話ししたいと思います。
この映画は、1961年にキーロフ・バレエ団のパリ公演の帰り際にフランスへ亡命し、後に西側で活躍した伝説のダンサー、ルドルフ・ヌレエフの半生を描いた映画です。
ヌレエフは、松山バレエ団の森下洋子先生と何度も共演をしています。
1976年 NYで初共演
1977年 英国のエリザベス女王戴冠25周年のガラ公演で《ドン・キホーテ》のパ・ド・ドゥ
1980年 ロンドンで行われた「ヌレエフ・フェスティバル」で《ドン・キホーテ》全幕
また、松山バレエ団とも深い繋がりがあります。
1983年 松山バレエ団創立35周年公演"ヌレエフと松山バレエ団"で《白鳥の湖》《ジゼル》全幕
1984年 バレエ団·イタリア公演にて《白鳥の湖》《ジゼル》全幕
そして、松山バレエ団はヌレエフ振付の《眠れる森の美女》《ドン・キホーテ》をレパートリーに持っています。
このように、洋子先生や松山バレエ団と深い繋がりがあるヌレエフを、間近で見てこられた私の師匠である斎藤弘子先生から、ヌレエフの思い出話を聞かせて頂いたことがあります。
カーテンコールが終わり、緞帳が降り、その日の本番が終わりました。
すかさず、ヌレエフは洋子先生にその日の舞台のダメ出しをするそうです。
そして洋子先生は、すぐさま舞台上て、衣装を着けたまま、何度も何度もヌレエフのO.K.が出るまで、注意されたところを練習したそうです。
映画の中でもヌレエフは、自分が出来るまで何度も何度も同じところを、一人黙々と練習するシーンかありました。
踊りに対する【こだわり】ですよね。
ヌレエフは練習の鬼だったそうです。
一流になる人というのは、
努力を努力と思わずに努力できる人
だと、つくづく思いました。
当時バレエ界のスーパースターだったヌレエフに直接触れられ、そして学ばれた斎藤弘子先生から、ヌレエフのバレエに対する姿勢を教えて頂けたことに、改めて感謝しました。
今度は私がアカデミーの生徒たちに伝える番になりました。
バレエ史に残るダンサーです。
みなさんも是非、映画館に足を運んで下さい。